3/17、DWATの活動について、京都DWAT特別アドバイザーである華頂短期大学の武田康晴先生のご講義を受けて、自分がなんだか大切なことに目を向けていなかったのではないかと言う思いに駆られた。ニュースや新聞で見知っていた地震や豪雨災害などだが、大変だということは感じていても、やはり我がことにはなっていなかった。東日本大震災後、岩手県で初めて組織されたDWATはその後起きた災害を経て全国に広がりつつあるとのこと。災害直後DMATが入り、応急の対応はなされるが、その後に災害関連死が増えたことを受けて立ち上がったDWAT。その活動内容は一般避難所での生活支援等。
被災して、避難所という普段の生活の場ではないところが生活するところになったことによる生活のしにくさや困りごとが生じてくることに対する課題を自ら見つけて対応していく。まさに、ソーシャルワークをしっかりやっていくことが一番なのだ。
ソーシャルワークは調整機能であり、活動課題に取り組み、より良い状態に持っていく。ここがソーシャルワーカーの専門性。個人プレーではなくチームワーク。個人の手柄は不要なのだ。そこでは今、私たちに何が足りないかを考えて行動することが大事であろう。
何よりも保健・医療・福祉が連携していくことが重要で、それは2022年、災害福祉支援ネットワーク中央センター(全社協、全国事務局)を立ち上げたことで、災害時の多職種連携がしやすくなったという。
講義の中、「要配慮者」について考える場面で、普段は要配慮者になりえない人も災害によっては要配慮者になりえるという。平時では当たり前のことなのにその基準が低下していることに対する憂慮・・・少しでも豊かな気持ちになれることを提案できるチームであるはずなのに。また、手伝い続けられない我々は「帰る人」という葛藤の中で、「帰らない人」の組織化に取り組むということ。人の生活はその場限りで終わるものではないからだ。話さなくなった少女、コンセントに群がる子どもたち。自分も被災者なのに不満をぶつけられる町の職員・・・避難所で出会う被災者は全て「要配慮者」ではないのかと。
後半でグループワーク、お題は『避難所における福祉ニーズを考える』
短時間で多職種がそれぞれの立場で考え、次々とニーズを貼り出していく。次に何故そう考えたのかを互いに話していく。その中で賛同すること、見えていなかったこと、見えてはいたが思惑が違うことなどが判り、面白かったし大変勉強になった。陳腐だけれど本当だ。
東日本大震災の教訓として『平時に出来ないことは災害時にもできない』とあるそうだ。
自分が社会福祉の専門職として災害時にどう関わることが出来るのか。なんて四の五の考えるより、そういうことだ。平時の仕事ぶり、地域活動、多職種間との連携。日頃から何が出来ているのかが問われるのである。
武田先生は、災害時には被災地における福祉支援の担い手として、また平時には受援力のある地域を作る推進役として、ソーシャルワーカーの役割は非常に大きいと考えられる。と締めくくられた。
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